数学への出発
1954年1月に千葉県印旛郡八街町(現八街市,昔スイカの名産地♪,母の実家)に生まれる.小学生のとき,縦書きの割り算が分からなくて,母に叱られながら計算ドリルをやった.今にして思う.掛け算の九九とか縦書き割り算など理屈が分からなくても習熟しなければならないものがある.それでも九九の表は対角線の上三角だけ覚えれば完璧だということは子供でも分かる.分かってしまったので私は九九の完全暗唱は拒否した.表立って教師には反抗しなかったけれど,九九の暗唱の競争では真面目な子にはかなわない.しかし,それがどうした?不真面目な私は,それで困ったことは今まで生きてきて一切ない.人が育つ道は一本道ではないということだね.ところで,私の娘などは年少さんのときに上の子の練習を聞いて九九を暗唱していた.そういう子どもは結構いるのではないかな.兄弟で上の子がやっていることは何でも真似をする.私自身は一生の不覚,長男だ.
小学生の時は,私は長嶋茂雄の大ファンだったので新聞のスポーツ欄で前日の試合の成績をチェックして,今日の試合の打数と安打数を得たら打率がどうなるか,当時,広島カープの古葉さんと首位打者争いをしていたので熱狂した.でも割り算が嫌いだったので,1~500までの逆数を,割り算を使わずに,つまり大体このあたりか,と見当を付けて元の数と掛け算して1と比較する.徐々に真の値に近づけていき,ほどほどの精度の結果を表にして持っていた.遊びだから根気が必要でもなんてことはない.ゲームに熱中するのと同じだ.とにかく,これで,後は掛け算だけで打率が計算できる.大好きな長嶋選手のためだったら,どんな労力も惜しまなかった.ところが,小学校4年生の夏休みに,千葉の田舎に泊りがけで遊びに行ったときに,中日ドラゴンズファンの叔父に,畑仕事の合間に,「打率の計算なんて簡単だよ....」,と縦書き割り算のやり方を復習させられた.何だ.縦書きの割り算て役に立つんだ.感動した.自分のやりたいことに絡めると一発で身につく.世の中すべて,そういうことかな,と子供ながら気づいた.自分自身のメタ認知にとっても,教員生活においても一生の財産になる体験だった.以後,逆数の美しい表は捨てて忘れてしまった.叔父はスイカ作りの名人だと尊敬していたが,算数もできる人だと知って一段と尊敬した.
中学3年のとき平方根を学校で習った.父がもっと面白いこと教えてあげよう,と言って開平計算のやり方を教えてくれた.中学生の私は,計算結果を平方すると元の値が得られるのに感動した.中学で幾何の証明を習うが,学問とはすべからくユークリッドのようにやるものだ,というふうにはまだ思えなかった.しかし,高校に入ったら代数でも証明が出てきた.因数定理とか厳密な議論だし,数列の漸化式をもとに一般項を予測して,数学的帰納法で証明するとか.これには心底びっくりした.学問とは,こういう方法をきちんと使えることが大事かなと少し思った.
高校入学早々代数の証明で衝撃を受けたので,高校1年の夏休みに,開平計算の手順によって平方根の近似値を任意の精度で計算できることを証明しよう,と思い立った.試行錯誤で論文(のつもり)にまとめた.レポート用紙に書き留めただけで,紛失してしまって今はない.今振り返れば,無限級数展開の係数比較の議論だが,そういう言葉をまだ知らない高校生が回りくどい表現で証明の詳細を必死で書いたということだ.それで,その時に,開平計算がきちんと正当化できるんだから同じ手法で,小学生のときに苦戦した縦書き割り算の正しさも証明できると確信した.やってみたら簡単だった.そりゃそうだろう.開平計算の方が難しい.この夏休みの熱中の結果,本気でもっと数学やろうかなと思った.高校生諸君,挑戦してみたらどうだろうか.
以後,話はかなり端折るが,結婚して,子供ができて,論文書いてる最中にパソコンの電源を落とされて(幼い息子に),そんなこんなで博士論文提出して,人生いろいろ回り道したので話が長くなるから省略です.妻には感謝.